子どもがついに歌を理解し始めた。「おかあさんといっしょ」の歌に合いの手的な発声をしたり、「はたらくくるま」を私が歌うと、車の名前を繰り返すところでちゃんと「ブーブーシャー!」と叫んだりする。まだメロディは口にしないのだが、旋律の理解はしているのでもうそろそろなんじゃないかという気がする。このあたりも子どもによるのだろうが、合いの手から会得するというのはなかなか面白い。よく踊るタイプなのでそこと関係しているのかもしれない。

「考察ブーム」についてここ数日考えていた。私は考察的なコンテンツが溢れかえっている現状のことを、「人が考察を好んでいる」が故のブームとは正直あまり思っていない。もちろん考察そのものを楽しんでいる人はたくさんいるのだろうが、どちらかというとコンテンツプラットフォームビジネスが膨張しすぎた結果の、ユーザー行動の画一化の一環として見ている。考察は外部のコンテンツに依存しているために量産や複製が容易く、コンテンツの注目度(=検索・アクセスのされやすさ)に乗っかれることからプラットフォームのアルゴリズムに対して強い。とりわけ無料のプラットフォームにおいて、素人が短期的報酬(お金あるいはいいねなども含むユーザー間コミュニケーション)を得るための手段としては特に便利なジャンルの筆頭だ。同じくらい報酬に直結しやすいのは、あとは金、性、政治、炎上ネタくらいだろう。2021年12月の『ゲンロン』「無料とはなにか」特集を読み返したら東浩紀が、無料プラットフォームのもたらしたコンテンツの多様性の衰退について話していて、その傾向はこの時以上に加速しているし、その中で「考察」が台頭するというのは今考えれば必然だよな、と思った。一方で、「考察がブームなのだ」とメディアや著名人が言及することで考察の立ち位置というか商品価値が変わり、また次の段階へ進むのかもしれないとも感じる。個人的にはあまり考察と呼ばれるタイプのコンテンツに惹かれないのだが、それも変わっていくだろうか。

BISTROのオーブンレンジをだいぶ前に買ったのに、設置するスチールラックの組み立てが面倒で部屋の置物と化していたのである。このままでは埒があかないと思い、前にも依頼したことのある地元の何でも屋さんを呼んで組み立ててもらった。元引越し業者で、家具の組み立てから設置、修理や庭の手入れなど何でもしてくれる。彼がやって来たら、マメ氏一歳がはしゃいで何度もからみにいくので驚いた。人見知りというほどではないが、普段はあまりそういうことをしないタイプなのである。何でも屋氏曰く「僕、実は子どもにすごい好かれるんですよね。うちの子の保育園に行くと子どもたちが『⚪︎⚪︎パパだ!』ってわっと寄って来たりして」とのこと。ちょっとトトロみたいな外見で、優しそうだからかもしれない。彼のおかげでラックはすぐさま組み立てられ、レンジの設置も爆速で終わった。プロに任せると組み立ても正確なので安心感がある。やはりこういうことは積極的に外注していこう。

貴重な夜遊び日。友達数人との食事会のため、仕事を終えたあとよれよれ状態で表参道を歩く。途中でドラッグストアに寄り、いつも在宅ワークの時に使っているニベアの色付きリップに加え、メンソレータムのフラッシュティントリップを初めて買った。ドラッグストアを出たところで「そういえば今すでに、化粧もはげ落ちているだろうな」と思い、そのまま近くの建物の方に寄って、買いたてのティントリップを早速塗ってみることに。しかし壁際で目立たないように手鏡を出してリップを塗っていたら、「すみません」と若い男女が後ろから声をかけてくる。振り返ると、20代前半と思しきカップルがスマホを手にこちらを見て微笑んでいる。何かの勧誘だろうか、あるいは道案内をしてほしいと思っている外国人観光客だろうか、と反射的に思ったが、次の瞬間二人が「これ落としましたよ」と手に持ったスマホを差し出してくる。愚かなことに、私はリップを塗るため壁の方に寄っていったわずかな時間に、スマホを地面に取り落としていたのである。それぞれ韓国の男女アイドルのような髪型をした二人は、邪気のない笑顔で私にスマホを渡してくれた。肌は白くハリがあり、身なりもとてもおしゃれだ。一方の私はぼさぼさ頭にユニクロのコートで、化粧のはげた顔にメンソレータムのリップを塗っている。しかも渡してもらったスマホの画面にはTwitterが表示されていた上(何かにあたったのか、GROKの画面だったので助かった)、AirPodsで私がスマホから聴いていたのはゲーム実況である。すべてが表参道のイデアに相応しくない気がする。アイテムがチープだからという意味ではなく、何か根本的に、全体的に自分がみすぼらしく感じられて恥ずかしかった。おかげで、そのあとの食事会で友人たちがコートを脱いだ時にも、「みんなこんなにおしゃれなのに私ときたら……」と唇をかみしめてしまった。
今年は本気で肉体と身なりの改善に励みたい。お店の料理は美味しかった。メンソレータムのティントは肌に合わなくて唇が荒れた。

最近は、SNSを見ているととにかく皆が次々同じコンテンツ(postや動画やその他)に言及するので、常に同じCMが流れ続けるテレビチャンネルを見ているようで疲れてしまう。私が同質性の高い人たちを見過ぎなのか?とはもちろん思うし、実際その要素はあるだろうが、明らかに一昔前よりも「みんなが言及している気配を感じてそれに言及する人」の量が増えているというか、そういう話題の広がり方が激しくなっているように感じる。これは言及する人たちが悪いわけではなく、時代に伴うプラットフォーム作法の変化なのだ。話題になっているものに言及することの精神的・実際的コスパがあまりに良すぎる。それはそうじゃない方向に行った場合のリターンをプラットフォーム側が明確に下げているからであり、人間が行動をデザインされている結果にすぎない。オフラインもその原理が強くなっているから、ますます「売れたものを売る」一直線という感じ。あまりそれを意識しすぎてもよくないが、そうはいっても「みんなが言及しているものに言及したくない」感覚はどんどん強くなる一方だ。本当に言及したいものには素直に言及しつつ、皆が何かを一斉に見ているように感じられる時は、極力違うものを見るようにしたい。

マメ氏の風邪が悪化し、在宅育児×労働デイ。私は私でMTGだらけだし、子どもは体調の悪さで動画を見るくらいしかできず不満げ。2人して困りながら過ごす。しかし制約があると仕事への馬力は出るもので、AIも使いながらかなりのスピードであらゆることを進めた。仕事の都合でよく調べているせいもあるが、最近いよいよ私の中でもAIの存在感が強くなってきている。AIは子どもの面倒はみてくれないけれど、私の面倒はみてくれると言ってもいい。これを使って、ワンオペから半歩踏み出そうと最近は考えている。

マメ氏、風邪気味。外も寒そうだったので、家の中で静かに過ごす。マメ氏は引き続き消防車にお熱で、暇さえあればYouTubeの緊急車両走行集動画を見たがる。あまりYouTubeばかり見せたくないので泣かれても無視したりするが、それでも3回に1回は見せる。家の中でずっとサイレンが鳴っているのは変な感じだ。海外でも緊急走行を撮影するオタクは多いらしく、私のYouTubeレコメンドはすっかり国内外の消防車・救急車動画で埋まっている。私は人生で一度も車に興味を持ったことがないのだが、このままいくとそれなりに興味を持てそうな気がする。マメ氏は動画を見ながらウーウーとサイレンの声真似をしている。

友人数名と、とある小説の読書会のために集う。何の示し合わせもなかったのに、数名がお菓子の差し入れを持ってきていたため、思いのほか食べ物の多い会となった。私も気の回る夫に、「お菓子くらい持って行った方がいいのでは」とサブレを渡されていたので食べ物を増やしたひとり。ティッシュを広げてお菓子を分配していた時、参加者のひとりが「PTAの会合みたい……」と言っていて本当にそうだと思った。場所が会議室だったのもあってまさにPTAっぽかった。読書会本編も盛り上がった。それぞれが何かしらのプロフェッショナルで濃い世界観を持っているため、オピニオンからゴシップまでどれも充実の内容。インターネットには一切書けない。そういう話ができることがオフラインの醍醐味である。読書会の後は、東京駅の近辺で軽く食事会。「なめた態度を取ってくる人物(特に年上の男性)に女性はどう対峙するべきか」という話になり、反射神経のいい管理職女性A、そもそも男性からなめられづらい管理職女性Bなどからの助言が飛び交う。私は「相手の発言に対して脊髄反射的に『なるほど』などと返さず、とりあえず『うーん』など1、2秒時間をかせげる言葉を発するべき」と言ったのだが、それについて反射神経のいい管理職女子がすかさず「そういう『踊り場ワード』を持つのは大事」と一言。踊り場ワード、いいネーミングだ。私もワードの手札を増やそう。

読んでどうにも疑問が多かった本を夫に貸したところ、半日で何十と付箋をつけた状態に変貌。付箋の一つ一つに七夕の願い事の如く書かれたツッコミコメントをさかなにしばし議論をする。夫は私とは本を読む観点が全然違うため、なるほどなあと思うところが多くて面白い。最近「前段の議論やさまざまな紹介が、最終的な主張と特に関係あるように思えない」本を立て続けに読んでうむむとなっていたのだが、夫に言わせるとそれは「歴史系の奇書の定番」なのだそうだ。うむむ。ともあれ、こういう人と結婚できて嬉しい。

村山由佳『プライズ』を読み終える。早朝から読み始め、仕事を挟み隙間時間を全投入してどうにか夕方に読了。最初は主人公のことを、村山由佳には珍しい毒々しいキャラかと思ったが、良い意味でいつも通りの村山由佳だった。この人は本当に性根がいいのだろうと思う。中学生ときに『海を抱く』を読んで以来、その印象はずっと変わらない。いちばん良かったのは「こんなところでぐずぐずしていられない」という台詞。やる気が出た。