友人数名と、とある小説の読書会のために集う。何の示し合わせもなかったのに、数名がお菓子の差し入れを持ってきていたため、思いのほか食べ物の多い会となった。私も気の回る夫に、「お菓子くらい持って行った方がいいのでは」とサブレを渡されていたので食べ物を増やしたひとり。ティッシュを広げてお菓子を分配していた時、参加者のひとりが「PTAの会合みたい……」と言っていて本当にそうだと思った。場所が会議室だったのもあってまさにPTAっぽかった。読書会本編も盛り上がった。それぞれが何かしらのプロフェッショナルで濃い世界観を持っているため、オピニオンからゴシップまでどれも充実の内容。インターネットには一切書けない。そういう話ができることがオフラインの醍醐味である。読書会の後は、東京駅の近辺で軽く食事会。「なめた態度を取ってくる人物(特に年上の男性)に女性はどう対峙するべきか」という話になり、反射神経のいい管理職女性A、そもそも男性からなめられづらい管理職女性Bなどからの助言が飛び交う。私は「相手の発言に対して脊髄反射的に『なるほど』などと返さず、とりあえず『うーん』など1、2秒時間をかせげる言葉を発するべき」と言ったのだが、それについて反射神経のいい管理職女子がすかさず「そういう『踊り場ワード』を持つのは大事」と一言。踊り場ワード、いいネーミングだ。私もワードの手札を増やそう。

読んでどうにも疑問が多かった本を夫に貸したところ、半日で何十と付箋をつけた状態に変貌。付箋の一つ一つに七夕の願い事の如く書かれたツッコミコメントをさかなにしばし議論をする。夫は私とは本を読む観点が全然違うため、なるほどなあと思うところが多くて面白い。最近「前段の議論やさまざまな紹介が、最終的な主張と特に関係あるように思えない」本を立て続けに読んでうむむとなっていたのだが、夫に言わせるとそれは「歴史系の奇書の定番」なのだそうだ。うむむ。ともあれ、こういう人と結婚できて嬉しい。

村山由佳『プライズ』を読み終える。早朝から読み始め、仕事を挟み隙間時間を全投入してどうにか夕方に読了。最初は主人公のことを、村山由佳には珍しい毒々しいキャラかと思ったが、良い意味でいつも通りの村山由佳だった。この人は本当に性根がいいのだろうと思う。中学生ときに『海を抱く』を読んで以来、その印象はずっと変わらない。いちばん良かったのは「こんなところでぐずぐずしていられない」という台詞。やる気が出た。

38歳の誕生日だった。昼に夫と、大好物の麻婆麺を食べに行く。今年の目標のひとつを達成するまで、この手の麺類は食べないつもりでいる。次にラーメンや麻婆麺を食べられるのはいつになるだろうか。なるべく早くクリアしたいものだけど。夫とは、主に読んでいる本について話し合い、途中でアーレントの話題になった。夫は「最近はなんでもアーレントを持ち出しすぎる」とぶつぶつ。「アーレントを持ち出すことにどんな便利さがあるのか」は、ちょっと考えてみたい問題である。「アーレントはラウル・ヒルバーグという歴史家の論考を不義理な形で自分の主張の参考にしたのだ」という話なども聞いて面白かった。麻婆麺で完全に腹がいっぱいになり、夜は青汁だけで済ませる。

まだ首が痛い。そしてこの九連休という名の九連育児の疲弊がいよいよ噴出してきてヨレヨレ。頭も痛いし口内炎がひどい。しかし今日も頑張って子どもを遊ばせるため外出。最初に図書館に行き、サルトル関係の本を数冊借りた。その後は子ども向きの公園でひとしきり遊び、休憩スペースで子どもにおにぎりと野菜コロッケを食べさせる。遊ばせている間はなんとなくBzを聴いていたのだが、「愛のままにわがままに」を二十年ぶりくらいにまともに聴いたらなぜか泣けた。稲葉さんの声のあたたかみが、大人になってようやくわかったからかもしれない。あるいは、愛のままにわがままに傷つけたくない相手が、私にもできたからかもしれない。
商業施設に移動しベビーカーで連れ回しているうちに子どもが寝たので、私はようやくカフェで一息。ワッフルを食べながら『庭の話』の続きを読む。プラットフォームは人間の中動態を前提としている、というくだりが本当にそうかを考えていたらあまり読み進まないまま時間が過ぎた。

首を痛めた。理由は二つ。①昨日、子どもを抱えたまま変な体勢で腕を後ろに伸ばしたせい。②この何日も、一日数時間はキーボードを叩いていたのに、ストレッチや筋トレをきちんとしなかったこと。多少の凝りなら運動すれば治るが、首をねじるとギリッとした痛みが走る状態になってしまったため諦め、午後に近所の整骨院へ行く。このあたりに住んで20年になるという院長から、街の歴史や開発の裏事情をわんさと聞きながら施術してもらう。「首を痛めやすいのは、脇の下の筋肉が使えていないからかもしれませんね」と言われ、「前鋸筋ですか」と尋ねたら「なんで前鋸筋なんて知ってるんですか。同業者なのかと思っちゃった」と笑われた。体オタクでピラティスも好きなので、と言うと「ちゃんと前鋸筋について教えてくれるならちゃんとしたピラティスですね」とのこと。一昔前はヨガ、この1〜2年はピラティスのブームが著しく、理学療法士が即席の技術でピラティスを提供するようなことも増えてきて、ピラティス界隈でも玉石混交が進んでいるのだという。それはともかく、やはり私の場合、肩周りが硬すぎて前鋸筋が使えていないらしい。胸椎の回旋がしづらくなっているのもかなり悪影響とのこと。今年は背骨周りと前鋸筋を鍛えることにする。

とあるPodcastを聴いていたら(今年はなるべくいろんなものを聴こうと思っている)、ガザについてパーソナリティ二人が話していた。一人は、現地の特定人物に継続寄付という形で支援を行っているらしい。ただ、長期的に一人を支援するというのはなかなか大変な部分もあり、しばらく振り込みを忘れてしまったタイミングがあって慌てたという。「お金を渡すということもだけど、定期的にその人のことを思い出すということも自分にとって大事なんだ」とそのパーソナリティが語っていて、それは納得しながら聴いていたのだが、相手の反応に「ん?」となった。相手のパーソナリティは「それは相手も同じですよね。お金というよりも連絡してもらえることが嬉しいはず」と言ったのだ。いや、それはわからないだろう、と心の中で激しく突っ込んでしまった。遠く離れた国の人間に思いを寄せてもらえることが、絶望の中で救いになると感じている人は実際いるかもしれない。でも「お金よりも交流に救われるはず」と、安全地帯にいる私たちが言うのは怖いことだ。日々の食事を買うわずかなお金すらない人がガザには(もちろんガザだけではないが)恐ろしい数いる。子どもに食べさせるものを買うお金が私の手元に1円もなかったら、誰でもいいから、どんな理由でもいいから500円くれ、と気が狂うほど思うだろう。そういう状況を想像しながら、「相手もこちらと同じだろう」と言ったりすることはできない。かなりモヤモヤしてしまい、すぐに違う話題に移ったこともあってその配信はそこで止めた。こうやってモヤついたときにすぐ止められるというか、聴いていられなくなるところがPodcastが炎上しづらい理由なのだろう。
午後はエッセイストのひらりさ氏がうちに遊びに来る。夫と三人でカードゲームをした。夫が「二人は知り合って何年なんでしたっけ」と訊いてきたので数えてみたら12年だった。『百合のリアル』の刊行記念イベントに、当時編集者だったひらりさ氏が取材に来てくれたのがきっかけである。我々も社会もあれから随分状況が変わった。前進しているといいのだが。

書いていた記事が消えて傷心。今日は雑煮を食べ、午前と午後に年中無休の子どもを連れて外歩きに励んだ。元日でもやっている商業施設があってよかった。子どもはこの連休中にまた身体能力が上がって手がつけられない勢いが出てきている。外歩きの最中は、子どもをかまいながらのんびりPodcastを聴く。2人以上で話す形式の場合、会話が上手い組み合わせでないと聴いていて落ち着かない。夜は生まれて初めて、芸能人格付けチェックとかいう番組を少しだけ観る。能楽経験者の夫が、チラ見レベルでも能のプロと素人の見分けがちゃんとついていてすごいなと思った。袖のさばき方が違ったらしい。

紅白歌合戦を観る。B’zと玉置浩二は本当に強烈だった。ビッグスターの出演を見たというより「歌を聴いた」という感覚があったし、「ああ、いくらこの人たちでも、流石にこの歳になれば衰えるんだな」とこちらを寂しくさせるところがまったくない。むしろ歳を重ねることの凄みが伝わってくる。何も比べることなどできないが、このくらいを目指したいと強く思った。一方で、紅白歌合戦自体はやはり私には少し寂しい。皆で”昔の記憶”を見ている感じが、子どもの頃からどうにも苦手なのだ。歴史系のコンテンツは好きなのに、それと何が違うのだろう。

夫不在の過酷な一日。午前と午後、それぞれマメ氏を連れて外出する。午後は大きめの商業施設へ行き、おもちゃ売り場へ。マメ氏は最近まで、おもちゃの山に対してそこまで強い反応を見せなかった。たぶん音や人混みに圧倒されていたのと、物がありすぎてよくわからなかったのだと思う。しかし今日のマメ氏は、2人で歩いている最中にハタと足を止めた。視線の先にはトミカなどの車のおもちゃが。ついに気づいてしまったのだ。マメ氏はそのまま強くコーナーを見つめ、そっと近寄ると、「ブーブージャ……!」とつぶやきながら大きめの車のおもちゃを次々手に取っていた。気に入ったものを、傍にしゃがみこんだ私の膝の上にのせていくのが面白かった。マメ氏の車を見る視線は真剣そのもので、これが「好き」の始まりなんだとよくわかった。台に接着された車のおもちゃに特に夢中で、ずっと見つめて立ち尽くしているので私もそのまま放っておき、横についたままスマホのKindleで『ノートルダム・ド・パリ』の続きを読む。すでにものすごく長く読んでいる気がするが、まだ全然冒頭で変顔対決をしているところである。しばらくして飽きた子どもと家に帰り、また2人で遊んで過ごした。