マメ氏と風呂に入ってあがった直後、SNSで子どもの虐待死の話題を見てしまい動揺。マメがそんな目にあったら(この場合その目にあわせるのは自分ということになるのだが)、と想像したらとてつもなく哀しく恐ろしくなり、ボロボロ泣けてしまった。子どもが死ぬことを想像する時のこの、簡単に正気を失いそうなレベルでの恐怖はなんなんだろう。猫だろうと犬だろうと子に危険が迫っていたら血相を変えて走ってくる、そのときにはたらいている衝動なのか。嗚咽している私を見てマメ氏はものすごくけげん顔になり、しまいには半分怒り出していた。親の泣き顔などまだほとんど見たことのないマメ氏である。このままあまり見せないで生きていけたらいいのだが。
検診
マメ氏の一歳半検診で、ベビーカーを押して役所まで行く。同い年の子どもがうようよいるシチュエーションが面白かった。皆思い思いに怯え、検査に泣いている。マメ氏はおっとりしたタイプであまり場所見知りも人見知りもしないのだが、周りの幼児がわんわん泣いていることに異常を感じたのか、身長と頭のサイズを測られている間にどんどん顔がクシャクシャになり、最終的にはウッウッと泣いていた。が、検査自体は順調。唯一、医者に「発話がまだ初期段階なので要観察」と言われたが、そのあとの保健師のヒアリングのときには「えっ、全然要観察レベルじゃないですよ。いっぱい喋ってます」と言われ、不思議な意見の不一致を見た。まあブーブージャ(消防車)だのアンパン(アンパンマン)だの言っているから今はいいだろう。しかしまあ今日は風が強かった。何か危ないものがベビーカーに向かって飛んできたらどうしよう、と思うと気が気ではなかった。強風の恐ろしさを人生で一番感じた日だったかもしれない。
満月
冴えない一日だった。肌は荒れており、一日中寒く、仕事はちっとも終わらず、Twitterのタイムラインを見ていたら偶然、長くフォローしてくれていた人にリムーブされていることに気づき、世の人々がみな私の100倍輝いて見え、子どもは夕飯をなかなか食べ終えてくれなかった。良かったのは朝、小説のプロットについて修正のための考えをまとめられたことくらいだ。やはり朝は小説のことを、後回しにしてしまいがちなことをするのが良いようだ。日中、仕事の用事で出掛けている最中にテイルズオブエターニアのOP曲を聴き、懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった。これをプレイしていた頃、家庭の状況がよくなくて、私は(今思えば)毎日現実逃避に必死だったのだ。ゲームは楽しかった。エターニアのラストシーン(飛び立つ宇宙船、そして……)では泣いた。でも本当は私は私のために泣きたかったのだ。今日は満月で気圧も低く、神経やメンタルにはよくない設定の日でもあったらしい。こういう日は早く寝るに限る。
どこにどのくらい
午前は子どもと公園。午後は某所に某作家のトークを聴きに3〜4時間だけ外出。寒く、遠く、JRの中では酸欠になり、全体的に気分の悪い日だった。でも作家のトークは聴けてよかった。帰り道に改めて、今後書くものについて考えた。今年は長編小説を最低一作できれば二作、短編を最低一作できれば三作書くと決めている。しかしそれ以外のエッセイや日記をどう書くかはまだ悩み中だ。「noteの無料記事をどの程度書くか」「日記をどこにどのくらい書くか」「書きたいと思っているエッセイの優先順位をどう設定するか」「というかエッセイをそんなに書こうとしないで小説に全振りするべきなのでは」などなど、まだ考えのまとまっていないことがたくさんある。日記は、今は5分10分で走り書きしている状態だが、もっと全力で書いて楽しみたい気持ちもある。なにしろ16歳のときからネットで日記を垂れ流しているので、書こうと思えばいくらでも書けてしまうのである。でも「書けてしまう」に甘んじていいのかという葛藤があり迷う。って、そんなことをぐずぐず言う前に書けるものを書けよ、という話なのだが。子どもと対峙して頭だけ暇な時間が多いものだから、つい思考がどうどう回りになってしまうのである。
新しい職種
研究者のキャシー・デビッドソン氏は2011年に、「今年小学校に入学した65%の子どもは、大学卒業時に今は存在していない職業に就く」と発言した。2011年に6歳だった子たちの大半が大学を卒業する年まではまだ多少時間があるが、2011年に存在しなかった職業は着々と増えていると感じられる。かくいう私だって、2012年に大学を卒業した大人だけれど、2018年からはもっぱら、2000年代には存在しなかった職種の仕事ばかりしてきた。そして今日もまた、去年にはまだなかったタイプの、つまりは生成AIがらみの広義の編集仕事についての打ち合わせをした。依頼してくれた知人経営者曰く、「この仕事を頼める相手として、僕が思いついたのは小池さんとMさん(私の元同僚)だけだった」そうである。Mさんも交え、「こういう仕事って、最終的にどういう職業名になるんでしょうね」と語り合う。打ち合わせメンバーの一人が「欧米では実際、こういう職種が増えてきているみたいです。結構高給取りみたいですよ」と言うので、Mさんと二人「じゃあ我々も高給を目指そう」と言い合う。まあでもわからない。AIがもっともっと進化すれば、2027年くらいにはその仕事さえも消えるのかも。すごい時代になったものである。
メイクレッスン
午前中はいつも通り子どもと駅近の公園で爆遊び。おにぎりとコロッケで昼飯とする。子どもを家に連れ帰り昼飯を食べさせたのち、また駅に飛んで新宿伊勢丹へ。RMKのメイクレッスンを受ける。30代も後半になり、今までのメイクのままではダメだなと思う機会が増えたので、もう少し今らしいメイクを教えてもらおうと思ったのだ。顔が疲れて見えたのか、「元気に見えるメイク」をしきりと提案され、それでお願いした。商品購入ありきのサービスで、基本的には購買営業のためそこまで踏み込んだアドバイスや提案はない。気になることはこちらから積極的に聞き出す必要がある。とはいえプロのテクニックを間近で見られるのは何にも代え難い価値があるというもので、非常に良い体験になった。リップ、リップライナー、アイシャドウ、チークを一揃い買った。明るいコーラル寄りのカラーが多く、春に向けてちょっと気分が上がる。土台の体の方も鍛えていこう。
振り返り
日々の仕事と創作の進行管理とPDCAがうまく回せない、というのがこの数ヶ月の悩みである。特に、やったことの振り返り、自己評価がうまくいかない。振り返り自体をやる気力体力が尽きたり、自己評価がダメ出しに寄りすぎてモチベーションが下がり放題になったりする。これをどうしたらいいのかをAIに相談したところ、かなり具体的な助言をいくつかもらえた。「まあそうとしかならんわな……」という既知の話もあるにはあったが、きれいにまとめてもらうと素直に入ってくる。とりあえず教わったことを明日からやってみるつもり。
わさび
収録仕事で渋谷へ。帰りにやよい軒で遅い昼飯を食べる。私はやよい軒では大抵鉄火丼を頼むのだが、この数年気になっていることがある。どの店でも、わさびの量がどんどん減っているのだ。私の記憶だと、5年くらい前までは「こんなに載せるわけないじゃん」というほどの量が出てきたのだが、いつからかどんどん少なくなり、最近では小指の爪くらいしかもらえないことが増えた。「もっとくれ」と言うのも変だし、おとなしく出てきた分を食べているのだが、わさび好きなので時々物足りない。やはりこれも不況のせいなのだろうか。いつかわさびが消える時が来るかもしれない。
初稿はゴミ
朝活時間に、小説のプロット兼下書きを書き終える。1万6千字。最初に書くものなどゴミでも構わない、という気持ちでとにかく進めて無理やり終わりまできた。三週間くらいかかっただろうか。もっと早く進めたかったのだが、細切れに書き続けていたのでこんなペースになった。書き終えると粗も穴も見える。当初考えていたプロットから何がどうずれていったのかもわかる。これを元にもっとちゃんとした細かい構成を作って、6月くらいまでには仕上げたい。応募先は悩ましい。正直合致する賞はない気がしている。年内はこれと短編を1〜3本、あと可能ならもうひとつライトな長編を書きたい。頑張ろう。
昼はボロい中華料理屋で油淋鶏を食べた。夜は「クィアアイ」シーズン9の1話をぼんやり流し見。ジェレマイアがパワーストーンの話をし始めたところで耳が一気にフォーカスモードになって我ながら面白かった。あんなにたくさん石を買って、高かっただろうな。
プランクトン
仕事の方が大盛り上がりだった日。なんとか乗り越える。子どもが初めて「せんせい」と発話していて可愛かった。夜、「Mr.プランクトン」を完走。これは打ち切りなのだろうか。ネトフリだから最初から決め打ちでやっていそうだけど、明らかに要素を回収しきれていないような。やりたいことはわかるし、できているところもあるのにすごく惜しい感じだった。「サイコだけど〜」のガンテに比べると、ヘジョを応援する決め手に欠けていた気がする。一方で、フンは人間としてよくできすぎているのであの母親が脅威に感じられず、こちらも緊張感に欠けていたかもしれない。でも優しい話だった。山小屋のおじさんとのエピソードが好きだ。ちょっと手塚治虫っぽい。