38歳の誕生日だった。昼に夫と、大好物の麻婆麺を食べに行く。今年の目標のひとつを達成するまで、この手の麺類は食べないつもりでいる。次にラーメンや麻婆麺を食べられるのはいつになるだろうか。なるべく早くクリアしたいものだけど。夫とは、主に読んでいる本について話し合い、途中でアーレントの話題になった。夫は「最近はなんでもアーレントを持ち出しすぎる」とぶつぶつ。「アーレントを持ち出すことにどんな便利さがあるのか」は、ちょっと考えてみたい問題である。「アーレントはラウル・ヒルバーグという歴史家の論考を不義理な形で自分の主張の参考にしたのだ」という話なども聞いて面白かった。麻婆麺で完全に腹がいっぱいになり、夜は青汁だけで済ませる。

まだ首が痛い。そしてこの九連休という名の九連育児の疲弊がいよいよ噴出してきてヨレヨレ。頭も痛いし口内炎がひどい。しかし今日も頑張って子どもを遊ばせるため外出。最初に図書館に行き、サルトル関係の本を数冊借りた。その後は子ども向きの公園でひとしきり遊び、休憩スペースで子どもにおにぎりと野菜コロッケを食べさせる。遊ばせている間はなんとなくBzを聴いていたのだが、「愛のままにわがままに」を二十年ぶりくらいにまともに聴いたらなぜか泣けた。稲葉さんの声のあたたかみが、大人になってようやくわかったからかもしれない。あるいは、愛のままにわがままに傷つけたくない相手が、私にもできたからかもしれない。
商業施設に移動しベビーカーで連れ回しているうちに子どもが寝たので、私はようやくカフェで一息。ワッフルを食べながら『庭の話』の続きを読む。プラットフォームは人間の中動態を前提としている、というくだりが本当にそうかを考えていたらあまり読み進まないまま時間が過ぎた。

首を痛めた。理由は二つ。①昨日、子どもを抱えたまま変な体勢で腕を後ろに伸ばしたせい。②この何日も、一日数時間はキーボードを叩いていたのに、ストレッチや筋トレをきちんとしなかったこと。多少の凝りなら運動すれば治るが、首をねじるとギリッとした痛みが走る状態になってしまったため諦め、午後に近所の整骨院へ行く。このあたりに住んで20年になるという院長から、街の歴史や開発の裏事情をわんさと聞きながら施術してもらう。「首を痛めやすいのは、脇の下の筋肉が使えていないからかもしれませんね」と言われ、「前鋸筋ですか」と尋ねたら「なんで前鋸筋なんて知ってるんですか。同業者なのかと思っちゃった」と笑われた。体オタクでピラティスも好きなので、と言うと「ちゃんと前鋸筋について教えてくれるならちゃんとしたピラティスですね」とのこと。一昔前はヨガ、この1〜2年はピラティスのブームが著しく、理学療法士が即席の技術でピラティスを提供するようなことも増えてきて、ピラティス界隈でも玉石混交が進んでいるのだという。それはともかく、やはり私の場合、肩周りが硬すぎて前鋸筋が使えていないらしい。胸椎の回旋がしづらくなっているのもかなり悪影響とのこと。今年は背骨周りと前鋸筋を鍛えることにする。

とあるPodcastを聴いていたら(今年はなるべくいろんなものを聴こうと思っている)、ガザについてパーソナリティ二人が話していた。一人は、現地の特定人物に継続寄付という形で支援を行っているらしい。ただ、長期的に一人を支援するというのはなかなか大変な部分もあり、しばらく振り込みを忘れてしまったタイミングがあって慌てたという。「お金を渡すということもだけど、定期的にその人のことを思い出すということも自分にとって大事なんだ」とそのパーソナリティが語っていて、それは納得しながら聴いていたのだが、相手の反応に「ん?」となった。相手のパーソナリティは「それは相手も同じですよね。お金というよりも連絡してもらえることが嬉しいはず」と言ったのだ。いや、それはわからないだろう、と心の中で激しく突っ込んでしまった。遠く離れた国の人間に思いを寄せてもらえることが、絶望の中で救いになると感じている人は実際いるかもしれない。でも「お金よりも交流に救われるはず」と、安全地帯にいる私たちが言うのは怖いことだ。日々の食事を買うわずかなお金すらない人がガザには(もちろんガザだけではないが)恐ろしい数いる。子どもに食べさせるものを買うお金が私の手元に1円もなかったら、誰でもいいから、どんな理由でもいいから500円くれ、と気が狂うほど思うだろう。そういう状況を想像しながら、「相手もこちらと同じだろう」と言ったりすることはできない。かなりモヤモヤしてしまい、すぐに違う話題に移ったこともあってその配信はそこで止めた。こうやってモヤついたときにすぐ止められるというか、聴いていられなくなるところがPodcastが炎上しづらい理由なのだろう。
午後はエッセイストのひらりさ氏がうちに遊びに来る。夫と三人でカードゲームをした。夫が「二人は知り合って何年なんでしたっけ」と訊いてきたので数えてみたら12年だった。『百合のリアル』の刊行記念イベントに、当時編集者だったひらりさ氏が取材に来てくれたのがきっかけである。我々も社会もあれから随分状況が変わった。前進しているといいのだが。

書いていた記事が消えて傷心。今日は雑煮を食べ、午前と午後に年中無休の子どもを連れて外歩きに励んだ。元日でもやっている商業施設があってよかった。子どもはこの連休中にまた身体能力が上がって手がつけられない勢いが出てきている。外歩きの最中は、子どもをかまいながらのんびりPodcastを聴く。2人以上で話す形式の場合、会話が上手い組み合わせでないと聴いていて落ち着かない。夜は生まれて初めて、芸能人格付けチェックとかいう番組を少しだけ観る。能楽経験者の夫が、チラ見レベルでも能のプロと素人の見分けがちゃんとついていてすごいなと思った。袖のさばき方が違ったらしい。

紅白歌合戦を観る。B’zと玉置浩二は本当に強烈だった。ビッグスターの出演を見たというより「歌を聴いた」という感覚があったし、「ああ、いくらこの人たちでも、流石にこの歳になれば衰えるんだな」とこちらを寂しくさせるところがまったくない。むしろ歳を重ねることの凄みが伝わってくる。何も比べることなどできないが、このくらいを目指したいと強く思った。一方で、紅白歌合戦自体はやはり私には少し寂しい。皆で”昔の記憶”を見ている感じが、子どもの頃からどうにも苦手なのだ。歴史系のコンテンツは好きなのに、それと何が違うのだろう。

夫不在の過酷な一日。午前と午後、それぞれマメ氏を連れて外出する。午後は大きめの商業施設へ行き、おもちゃ売り場へ。マメ氏は最近まで、おもちゃの山に対してそこまで強い反応を見せなかった。たぶん音や人混みに圧倒されていたのと、物がありすぎてよくわからなかったのだと思う。しかし今日のマメ氏は、2人で歩いている最中にハタと足を止めた。視線の先にはトミカなどの車のおもちゃが。ついに気づいてしまったのだ。マメ氏はそのまま強くコーナーを見つめ、そっと近寄ると、「ブーブージャ……!」とつぶやきながら大きめの車のおもちゃを次々手に取っていた。気に入ったものを、傍にしゃがみこんだ私の膝の上にのせていくのが面白かった。マメ氏の車を見る視線は真剣そのもので、これが「好き」の始まりなんだとよくわかった。台に接着された車のおもちゃに特に夢中で、ずっと見つめて立ち尽くしているので私もそのまま放っておき、横についたままスマホのKindleで『ノートルダム・ド・パリ』の続きを読む。すでにものすごく長く読んでいる気がするが、まだ全然冒頭で変顔対決をしているところである。しばらくして飽きた子どもと家に帰り、また2人で遊んで過ごした。

Claude相手に、小一時間ほど創作活動の相談をする。非常に具体的で実践的なアドバイスをたくさんもらえた。特に限られたリソースに対しての具体的なアクションプランがとても綿密で良かった。と同時に、今の自分がどれだけ何も考えずにやっているかを痛感しややとほほな気持ち。いや、来年から心を入れ替えて頑張ろう。

午前中は子どもの相手に全力を尽くし、午後はコーチングのセッションを一件、それからnoteのパーソナル編集者とその受講者が集う忘年会に少し顔を出す。私の担当をしてくれているみなみやんさんに会えたので満足。渋谷は恐ろしい人出だった。
ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』(辻昶、松下和則訳)を読み始める。ディズニーの「ノートルダムの鐘」は観たことがあるが原作は未読。ユゴーが29歳のときの作品だということも遅まきながら今回知った。『レ・ミゼラブル』を出したのが60歳のときだから、それより30年も前なのだ。最初の方は、これが一体どういう話なのか文章からあまり伝わってこずやや読みづらい。全体の文量もかなり多くて、読み通すのにはなかなかの努力がいりそうな予感。とりあえず少しずつ読める時に読むことにする。あと最近は、子どもを夫が引き受けてくれて風呂に一人で入れたとき、湯船で放心しながら古本のカポーティかスタンダールを読んでいる。そう長風呂もできないため、ほんの少ししか読めないがそれでも心が落ち着く。最近は古典を読むのが一番好きだ。インターネットもSNSも出てこないからだろう。

本棚を増やした。スライド式で、背は高くないがわりと大容量のものである。本棚を増やさないと、というのはずっと思っていたことだ。我が家は夫も私も野放図に本を買うので、こまめに売っていかないとあっという間に家の中が大変なことになる。私の方は、きりがないのでもう長いこと大きめの本棚ひとつに収納できる以上の量は持たないように気をつけてきたのだが、結婚してからは夫の影響で気が緩む一方だ。というわけで増設。スライド式なのでパーツが多く重たく、やや億劫だったが、ドライバー片手に粛々と一人で組み立て、2時間ほどで完成させた。私は学生時代、小劇場演劇の大道具をしていた時期があるため、家具の組み立てにはあまり抵抗がない方である。しかし、あの頃に比べて圧倒的に筋力が落ちた。20歳の頃はサブロクの平台を両肩にかついで歩くことさえできたが、今はこんな組み立て作業をしただけで腕が痛くなる。産後の痩せが止まらないのもあり悔しい。来年はもっと筋肉を増やしてリッチな体になりたい。