昨日に引き続き子どもが保育園を休み、在宅ワンオペ看病&労働。夕方のMTGではもう脳がサンゴの死骸状態だった。料理なんかしておれず、夜は隣町の美味しいカレー屋からチーズカレーとお子様カレーを宅配。正解だった。子どももそれまで腹減りでブチギレながら泣いていたけど、なんだかんだ機嫌を直して食べていた。お子様カレーのある店でよかった。そのあとはひたすら子どもとU-NEXTで「おかあさんといっしょ」など見る。私は子どもを膝に乗せてスマホで書き物。捗るわけではないが、やれるときにはとにかくやるしかない。

子どもが熱を出して在宅看護。体調が悪いと私から離れようとしないため、ひたすら膝に乗せて仕事を進める。危機感が強まったせいか、疲れたけれども捗った。子どもが要求するまま、YouTubeの乗り物コンテンツを見せてしまうことには若干の罪悪感があるが致し方ない。うまく刺激を与えてテクノロジー方面への興味の布石とできないかしら……なんてことも考える。子どもの世話ばかりで他のことは何もできずに終わったが、エンニオ・モリコーネのアルバムを聴いて気が遠くなるほど感動する瞬間があって、それだけでも今日はなんとなく良い日な気がした。「Once upon a time in the West」って本当に美しい曲だ。セルジオ・レオーネが「脚本の書き方はモリコーネの音楽が教えてくれた」(うろ覚え)などと語ったのも頷けすぎる。

松田樹×三宅香帆×森脇透青 司会=植田将暉 2025年に批評は存在できるのか?──90年代生まれが見透す「これから」の論壇【ゲンロンカフェ出張版 in 京都】 を視聴する。3時間くらいあるうちの1時間半くらいイライラしていた。三宅さんに対する男性陣の絡み方が、あまりに私の昔見てきたサブカル批評っぽすぎた。「なぜはた」に批判するべき点がまったくないとは思わないが、こんなやり取りでは議論の土台ができあがらない。過去の批評文脈を持ち出して、あの手この手で批判のジャブを打つも相手が真正面からパンチを受け止めようとするとすぐに次の議論の叩き台を出すあの感じ。「**さんにお聞きしたいのは、**って**ってことなんじゃないかと思うんですよ」「**って問題があるじゃないですか」と別に質問形式になっていない自分の考えをとりあえずまな板の上に乗せて、相手が包丁で綺麗にそれを切ってくれるかを伺うような、それをやっていい側と受けないといけない側がなんとなく設定されているような独特の感じ。大学生の時にこの手のやり取りをUSTREAM(懐かしい)で飽きるほど見て、実際に飽きた時の感覚をまざまざと思い出した。私もかつて私なりに批評を必要とした時期があるのだが、こういう感じに関心を削がれ、いくつかの決定打があって完全に心が離れたのである。ちなみにそのうちのひとつは、東浩紀の寵愛をめぐって、醜い応酬が自分のTwitterタイムラインで繰り広げられたことだった。あの時、「あ、こういうものを見ていると自分の人生の時間を無駄にするな」と思ったのを強く覚えている。あれから軽く15年、みんな結局まだTwitterにいるし、相変わらず「批評とは」という議論は盛り上がる。平和だという証拠かもしれない。とはいえ今日はこれについて考えすぎて書く時間を削ってしまった。今日で終わりにしておこう。
批評に対して私のような愛憎がなく冷淡な夫は、私の話を聞いて「批評は社会運動だっていうなら、小谷野敦をもっと評価しないといけないですね」と言って風呂に去っていった。

子どもがついに歌を理解し始めた。「おかあさんといっしょ」の歌に合いの手的な発声をしたり、「はたらくくるま」を私が歌うと、車の名前を繰り返すところでちゃんと「ブーブーシャー!」と叫んだりする。まだメロディは口にしないのだが、旋律の理解はしているのでもうそろそろなんじゃないかという気がする。このあたりも子どもによるのだろうが、合いの手から会得するというのはなかなか面白い。よく踊るタイプなのでそこと関係しているのかもしれない。

「考察ブーム」についてここ数日考えていた。私は考察的なコンテンツが溢れかえっている現状のことを、「人が考察を好んでいる」が故のブームとは正直あまり思っていない。もちろん考察そのものを楽しんでいる人はたくさんいるのだろうが、どちらかというとコンテンツプラットフォームビジネスが膨張しすぎた結果の、ユーザー行動の画一化の一環として見ている。考察は外部のコンテンツに依存しているために量産や複製が容易く、コンテンツの注目度(=検索・アクセスのされやすさ)に乗っかれることからプラットフォームのアルゴリズムに対して強い。とりわけ無料のプラットフォームにおいて、素人が短期的報酬(お金あるいはいいねなども含むユーザー間コミュニケーション)を得るための手段としては特に便利なジャンルの筆頭だ。同じくらい報酬に直結しやすいのは、あとは金、性、政治、炎上ネタくらいだろう。2021年12月の『ゲンロン』「無料とはなにか」特集を読み返したら東浩紀が、無料プラットフォームのもたらしたコンテンツの多様性の衰退について話していて、その傾向はこの時以上に加速しているし、その中で「考察」が台頭するというのは今考えれば必然だよな、と思った。一方で、「考察がブームなのだ」とメディアや著名人が言及することで考察の立ち位置というか商品価値が変わり、また次の段階へ進むのかもしれないとも感じる。個人的にはあまり考察と呼ばれるタイプのコンテンツに惹かれないのだが、それも変わっていくだろうか。

BISTROのオーブンレンジをだいぶ前に買ったのに、設置するスチールラックの組み立てが面倒で部屋の置物と化していたのである。このままでは埒があかないと思い、前にも依頼したことのある地元の何でも屋さんを呼んで組み立ててもらった。元引越し業者で、家具の組み立てから設置、修理や庭の手入れなど何でもしてくれる。彼がやって来たら、マメ氏一歳がはしゃいで何度もからみにいくので驚いた。人見知りというほどではないが、普段はあまりそういうことをしないタイプなのである。何でも屋氏曰く「僕、実は子どもにすごい好かれるんですよね。うちの子の保育園に行くと子どもたちが『⚪︎⚪︎パパだ!』ってわっと寄って来たりして」とのこと。ちょっとトトロみたいな外見で、優しそうだからかもしれない。彼のおかげでラックはすぐさま組み立てられ、レンジの設置も爆速で終わった。プロに任せると組み立ても正確なので安心感がある。やはりこういうことは積極的に外注していこう。

貴重な夜遊び日。友達数人との食事会のため、仕事を終えたあとよれよれ状態で表参道を歩く。途中でドラッグストアに寄り、いつも在宅ワークの時に使っているニベアの色付きリップに加え、メンソレータムのフラッシュティントリップを初めて買った。ドラッグストアを出たところで「そういえば今すでに、化粧もはげ落ちているだろうな」と思い、そのまま近くの建物の方に寄って、買いたてのティントリップを早速塗ってみることに。しかし壁際で目立たないように手鏡を出してリップを塗っていたら、「すみません」と若い男女が後ろから声をかけてくる。振り返ると、20代前半と思しきカップルがスマホを手にこちらを見て微笑んでいる。何かの勧誘だろうか、あるいは道案内をしてほしいと思っている外国人観光客だろうか、と反射的に思ったが、次の瞬間二人が「これ落としましたよ」と手に持ったスマホを差し出してくる。愚かなことに、私はリップを塗るため壁の方に寄っていったわずかな時間に、スマホを地面に取り落としていたのである。それぞれ韓国の男女アイドルのような髪型をした二人は、邪気のない笑顔で私にスマホを渡してくれた。肌は白くハリがあり、身なりもとてもおしゃれだ。一方の私はぼさぼさ頭にユニクロのコートで、化粧のはげた顔にメンソレータムのリップを塗っている。しかも渡してもらったスマホの画面にはTwitterが表示されていた上(何かにあたったのか、GROKの画面だったので助かった)、AirPodsで私がスマホから聴いていたのはゲーム実況である。すべてが表参道のイデアに相応しくない気がする。アイテムがチープだからという意味ではなく、何か根本的に、全体的に自分がみすぼらしく感じられて恥ずかしかった。おかげで、そのあとの食事会で友人たちがコートを脱いだ時にも、「みんなこんなにおしゃれなのに私ときたら……」と唇をかみしめてしまった。
今年は本気で肉体と身なりの改善に励みたい。お店の料理は美味しかった。メンソレータムのティントは肌に合わなくて唇が荒れた。

最近は、SNSを見ているととにかく皆が次々同じコンテンツ(postや動画やその他)に言及するので、常に同じCMが流れ続けるテレビチャンネルを見ているようで疲れてしまう。私が同質性の高い人たちを見過ぎなのか?とはもちろん思うし、実際その要素はあるだろうが、明らかに一昔前よりも「みんなが言及している気配を感じてそれに言及する人」の量が増えているというか、そういう話題の広がり方が激しくなっているように感じる。これは言及する人たちが悪いわけではなく、時代に伴うプラットフォーム作法の変化なのだ。話題になっているものに言及することの精神的・実際的コスパがあまりに良すぎる。それはそうじゃない方向に行った場合のリターンをプラットフォーム側が明確に下げているからであり、人間が行動をデザインされている結果にすぎない。オフラインもその原理が強くなっているから、ますます「売れたものを売る」一直線という感じ。あまりそれを意識しすぎてもよくないが、そうはいっても「みんなが言及しているものに言及したくない」感覚はどんどん強くなる一方だ。本当に言及したいものには素直に言及しつつ、皆が何かを一斉に見ているように感じられる時は、極力違うものを見るようにしたい。

マメ氏の風邪が悪化し、在宅育児×労働デイ。私は私でMTGだらけだし、子どもは体調の悪さで動画を見るくらいしかできず不満げ。2人して困りながら過ごす。しかし制約があると仕事への馬力は出るもので、AIも使いながらかなりのスピードであらゆることを進めた。仕事の都合でよく調べているせいもあるが、最近いよいよ私の中でもAIの存在感が強くなってきている。AIは子どもの面倒はみてくれないけれど、私の面倒はみてくれると言ってもいい。これを使って、ワンオペから半歩踏み出そうと最近は考えている。

マメ氏、風邪気味。外も寒そうだったので、家の中で静かに過ごす。マメ氏は引き続き消防車にお熱で、暇さえあればYouTubeの緊急車両走行集動画を見たがる。あまりYouTubeばかり見せたくないので泣かれても無視したりするが、それでも3回に1回は見せる。家の中でずっとサイレンが鳴っているのは変な感じだ。海外でも緊急走行を撮影するオタクは多いらしく、私のYouTubeレコメンドはすっかり国内外の消防車・救急車動画で埋まっている。私は人生で一度も車に興味を持ったことがないのだが、このままいくとそれなりに興味を持てそうな気がする。マメ氏は動画を見ながらウーウーとサイレンの声真似をしている。