AIの領域で起業した知人から、AIがらみの仕事を受注することに。彼の話を聞いて、2年後には一般のWEB記事ライターは実質的に駆逐されているだろうと感じた。駆逐というか役割変更か。遠からず、普通のライター=AIのチューニング役になるのだと思う。私はgeminiとclaudeをメインで使うのでよくわかるが、長文が得意なAIはもはやその辺のライターよりずっと構成力も語彙もある。佐藤友美さんも書かれていた通り、10万字ほどのブックライティングだって充分こなせる。この先人間が人間の価値を発揮するには、人間にしかないひらめき、洞察、追求力を磨くしかない。……と書いて思ったけど、それって別に本当は今までと変わらないんだよな。星新一の「処刑」のような話だ。とはいえ、実質的に「手作業で食える領域が減る」という変化はあるはずだが。知人に「こういう仕事を頼める書き手って全然いないんですよ。小池さんとあと⚪︎⚪︎さんしか思い浮かばなかった」と言われて、まだかろうじて私にはAIにできない仕事ができるらしい、と思った。磨いていこう。
往復創作
久しぶりに、遠くへ引っ越した友人Mと喋る。北国は曇りが多くて気持ちが塞ぐらしい。「こっちの人は小雨でも服を干すのよ」とのこと。昨日は南国の人と話して、「快晴が多いのが動物として快適だ」という話を聞いたところだ。日本は広い。さまざまな話をして、流れで「お互いに小説を書いて送り合おう」ということになった。短いものを手紙のように。大人になってからはついぞやったことのない遊びだ。楽しみ。
海外だって
仕事で、写真家の友人Nに会う。臨月以来だから一年半ぶりだ。仕事なのであまりゆっくり話せなかったが、大急ぎで近況を伝え合ったりして楽しく過ごす。今後の話を聞いたらもっと語学の勉強をしたいという。彼女はアートの世界で長く活動しているが、「流石に海外にも行かないと、これ以上活動を広げていくのは難しい」と感じているらしい。一瞬「いいな、今の自分にそういうのは無理だな」と思ったが、本当は別に無理じゃないのだ。本気でやりたいならできる。私にとって、海外が特に本気で向かいたい先ではないだけだ。自分の気分が向いていないことに対して、勝手に不自由さを感じるのはやめようと思った。
蒸される
子ども対応で疲労の極みの中、一億年ぶりにエステに行く。誕生日月キャンペーンに釣られてのことである。久しぶりに体重や体脂肪率、全身のサイズを測られた。スタッフに「すごくスラッとしてますよね〜!」と言われたが、スラッとしているのではなく産後の痩せでカスカスなのである。上半身がカリカリかつ尻が下がっていてかなしい。身長165cmに対して52kg、体脂肪率22.5%、筋肉量24kgというのはおおむね平均の範囲らしいが、できれば50kg後半台にしてもっと筋肉量を増やし、肉厚な感じになりたい。あとは、エステティシャンによれば上半身に比べて下半身の背面の冷えがかなり強いらしい。営業トーク抜きにしても実際そうなのだろう。尻周りが痩せないのは冷えていて硬いからだ。味の濃い美容ドリンクを飲まされたあと、エステ本編。可もなく不可もなく、ひたすら蒸されてゆだって終わった。好転反応で喉が痒く眠かった。クロージング営業では、「美容ドリンクの成分表はないのか」と訊いてスタッフを困らせた。帰り道もゆだり続け、頭がくらくらした。エステも良さそうだが、まずはユミコアで姿勢矯正をして血行を戻さないと話にならなそうである。
カレー様
昨日に引き続き子どもが保育園を休み、在宅ワンオペ看病&労働。夕方のMTGではもう脳がサンゴの死骸状態だった。料理なんかしておれず、夜は隣町の美味しいカレー屋からチーズカレーとお子様カレーを宅配。正解だった。子どももそれまで腹減りでブチギレながら泣いていたけど、なんだかんだ機嫌を直して食べていた。お子様カレーのある店でよかった。そのあとはひたすら子どもとU-NEXTで「おかあさんといっしょ」など見る。私は子どもを膝に乗せてスマホで書き物。捗るわけではないが、やれるときにはとにかくやるしかない。
発熱
子どもが熱を出して在宅看護。体調が悪いと私から離れようとしないため、ひたすら膝に乗せて仕事を進める。危機感が強まったせいか、疲れたけれども捗った。子どもが要求するまま、YouTubeの乗り物コンテンツを見せてしまうことには若干の罪悪感があるが致し方ない。うまく刺激を与えてテクノロジー方面への興味の布石とできないかしら……なんてことも考える。子どもの世話ばかりで他のことは何もできずに終わったが、エンニオ・モリコーネのアルバムを聴いて気が遠くなるほど感動する瞬間があって、それだけでも今日はなんとなく良い日な気がした。「Once upon a time in the West」って本当に美しい曲だ。セルジオ・レオーネが「脚本の書き方はモリコーネの音楽が教えてくれた」(うろ覚え)などと語ったのも頷けすぎる。
飽き
松田樹×三宅香帆×森脇透青 司会=植田将暉 2025年に批評は存在できるのか?──90年代生まれが見透す「これから」の論壇【ゲンロンカフェ出張版 in 京都】 を視聴する。3時間くらいあるうちの1時間半くらいイライラしていた。三宅さんに対する男性陣の絡み方が、あまりに私の昔見てきたサブカル批評っぽすぎた。「なぜはた」に批判するべき点がまったくないとは思わないが、こんなやり取りでは議論の土台ができあがらない。過去の批評文脈を持ち出して、あの手この手で批判のジャブを打つも相手が真正面からパンチを受け止めようとするとすぐに次の議論の叩き台を出すあの感じ。「**さんにお聞きしたいのは、**って**ってことなんじゃないかと思うんですよ」「**って問題があるじゃないですか」と別に質問形式になっていない自分の考えをとりあえずまな板の上に乗せて、相手が包丁で綺麗にそれを切ってくれるかを伺うような、それをやっていい側と受けないといけない側がなんとなく設定されているような独特の感じ。大学生の時にこの手のやり取りをUSTREAM(懐かしい)で飽きるほど見て、実際に飽きた時の感覚をまざまざと思い出した。私もかつて私なりに批評を必要とした時期があるのだが、こういう感じに関心を削がれ、いくつかの決定打があって完全に心が離れたのである。ちなみにそのうちのひとつは、東浩紀の寵愛をめぐって、醜い応酬が自分のTwitterタイムラインで繰り広げられたことだった。あの時、「あ、こういうものを見ていると自分の人生の時間を無駄にするな」と思ったのを強く覚えている。あれから軽く15年、みんな結局まだTwitterにいるし、相変わらず「批評とは」という議論は盛り上がる。平和だという証拠かもしれない。とはいえ今日はこれについて考えすぎて書く時間を削ってしまった。今日で終わりにしておこう。
批評に対して私のような愛憎がなく冷淡な夫は、私の話を聞いて「批評は社会運動だっていうなら、小谷野敦をもっと評価しないといけないですね」と言って風呂に去っていった。
ダンダン
子どもがついに歌を理解し始めた。「おかあさんといっしょ」の歌に合いの手的な発声をしたり、「はたらくくるま」を私が歌うと、車の名前を繰り返すところでちゃんと「ブーブーシャー!」と叫んだりする。まだメロディは口にしないのだが、旋律の理解はしているのでもうそろそろなんじゃないかという気がする。このあたりも子どもによるのだろうが、合いの手から会得するというのはなかなか面白い。よく踊るタイプなのでそこと関係しているのかもしれない。
考察
「考察ブーム」についてここ数日考えていた。私は考察的なコンテンツが溢れかえっている現状のことを、「人が考察を好んでいる」が故のブームとは正直あまり思っていない。もちろん考察そのものを楽しんでいる人はたくさんいるのだろうが、どちらかというとコンテンツプラットフォームビジネスが膨張しすぎた結果の、ユーザー行動の画一化の一環として見ている。考察は外部のコンテンツに依存しているために量産や複製が容易く、コンテンツの注目度(=検索・アクセスのされやすさ)に乗っかれることからプラットフォームのアルゴリズムに対して強い。とりわけ無料のプラットフォームにおいて、素人が短期的報酬(お金あるいはいいねなども含むユーザー間コミュニケーション)を得るための手段としては特に便利なジャンルの筆頭だ。同じくらい報酬に直結しやすいのは、あとは金、性、政治、炎上ネタくらいだろう。2021年12月の『ゲンロン』「無料とはなにか」特集を読み返したら東浩紀が、無料プラットフォームのもたらしたコンテンツの多様性の衰退について話していて、その傾向はこの時以上に加速しているし、その中で「考察」が台頭するというのは今考えれば必然だよな、と思った。一方で、「考察がブームなのだ」とメディアや著名人が言及することで考察の立ち位置というか商品価値が変わり、また次の段階へ進むのかもしれないとも感じる。個人的にはあまり考察と呼ばれるタイプのコンテンツに惹かれないのだが、それも変わっていくだろうか。
オーブン
BISTROのオーブンレンジをだいぶ前に買ったのに、設置するスチールラックの組み立てが面倒で部屋の置物と化していたのである。このままでは埒があかないと思い、前にも依頼したことのある地元の何でも屋さんを呼んで組み立ててもらった。元引越し業者で、家具の組み立てから設置、修理や庭の手入れなど何でもしてくれる。彼がやって来たら、マメ氏一歳がはしゃいで何度もからみにいくので驚いた。人見知りというほどではないが、普段はあまりそういうことをしないタイプなのである。何でも屋氏曰く「僕、実は子どもにすごい好かれるんですよね。うちの子の保育園に行くと子どもたちが『⚪︎⚪︎パパだ!』ってわっと寄って来たりして」とのこと。ちょっとトトロみたいな外見で、優しそうだからかもしれない。彼のおかげでラックはすぐさま組み立てられ、レンジの設置も爆速で終わった。プロに任せると組み立ても正確なので安心感がある。やはりこういうことは積極的に外注していこう。